東京都宅建政治連盟

東日本大震災 被災地視察を実施

2011年07月21日
空港関連施設も被災
仙台空港線も閉鎖中
仙台空港より海より土台のみの家屋跡
まだ新しい老人福祉施設も被災
1Fが完全に水没した新築間もない家屋
流され放置されたままのトラック
田畑に漁船、先に見えるのが防波堤の役割を果たした仙台東部道路
桟橋に向かうスロープも沈下
マリンゲート塩竈で岸壁に打ち上げられたままの大型漁船
松島湾の小島の間には、がれきなどのため浅くなった場所を示す赤いバイロン
開通した一般道の横ではがれきの分別
東京不動産政治連盟(略称 東政連)では、去る7月3日、4日の2日間、東日本大震災の被災地視察を実施いたしました。
計画主旨は首都東京を含めた災害対策、罹災した際の復興対策については平時より備えていなければいけないことでもあり、全てを語ることは出来ませんが、被災地に出向き実際に被災状況を視察することにより今後の活動に活かすことが出来ればというものでした。

当日は、(社)東京都宅地建物取引業協会会長をはじめ東政連本部会長、副会長、幹事、監査、総勢34名が参加し、バスで新宿を出発、東北道を利用して最初の目的地である宮城県名取市を目指しました。
福島県に入り白河インター付近に近づいてくると、高速道路そのものにも震災の傷跡があり、路面の段差、路肩の陥没や崩落も確認できました。また、車窓からは、資材や人手不足のためか、いまだに修理が出来ず屋根の瓦が落ちて雨漏り防止の青いビニールシートがかぶせられたままの家々の光景が広がっておりました。

宮城県内の山間部から仙台南部道路、仙台東部道路へ進み、海沿いに出てくると、徐々に瓦礫の山が点々とし、地震よりも津波の壮絶さを思わせる風景に変わっていきます。仙台市内に入ると正に津波の典型、流された車が田畑など所々に放置され、また別の場所では真っ赤に錆び積み上げられた車の山もあり、まるで産業廃棄物の集積場のようでした。また、TV映像や写真で見たとおり、撤去するには船主の費用でおこなわなければならないためなのか200㌧を超えるような大きな漁船まで、いまだ内陸に打ち上げられたままになっておりました。

仙台東部道路は海岸線より3キロほど内陸に海岸線に平行して走っておりますが、この有料道路が高架橋式ではなく盛土式構造であったため、堤防の役目を果たしたとのこと。その反面不幸にもここより海寄りは全てが海水に呑み込まれてしまったようです。さらに仙台空港は、この有料道路より海寄りであり海岸線から近いことで、かなりの被害を受けた様子でした。

現在は空港自体利用再開されておりますが、空港ビルのトイレなどはまだ仮設ですし、JR仙台駅と結ぶ仙台空港線は高架部分については問題ないように見えましたが、通信指令等の主要施設や空港トンネル等に壊滅的な被害を受け運休しているため代替バスでのアクセスとなっておりましたが、今月23日からはようやく一部区間での運行も行われるようです。
その後、津波被害が大きかった名取市の閖上付近にバスを移動してもらい、実際に被害にあった田畑、全壊・半壊した家屋を視察いたしました。そこは見る影もなく、かろうじて残った家屋が点在するだけで、被害は甚大でした。田んぼはササニシキの田植えに備えていたでしょうが、田畑は海水を被り、今後何年経ったら耕作できるのか想像がつきません。たまたま道路端で半壊した家屋の持ち主が居り話を伺うと、多分に漏れず、ご子息2人と母親は津波に呑まれ発見されていないとのこと。母親のために庭から縁側に入れるスロープも設置し、すべてバリアフリーにして建てたばかりだったそうで、家も失い家族も失った彼の心情を察するに慰めの言葉もありませんでした。

翌4日は、地震の影響が残る多賀城市内を抜け塩竃港より船に乗り松島を目指しました。塩竃港の発着ターミナルは1階部分まで完全に海水を被ったとのことで、桟橋通路もガタガタでした。松島はご存じの日本三景の一つで風光明媚は以前とさして変わっておりませんが、小さな島は松の木が少し流されておりました。海は濁り、海底には未だに瓦礫が沈んでおり、船の航行のために浅い場所には紅い旗を着けた竹竿が立てられておりました。船底が海底に着くのを防ぐためらしいですが、これらの撤去は大変な作業でしょう。松島港に着き船を下りると、見た目には被害の光景は目に入りませんでした。地元の人が言うには、松島の大小200近い島々が津波の速度や威力を防いでくれたとのこと。当然水位は上がり、土産物店などに水害はありましたが家が流されるほどの被害はなかったようです。店主は、にこにこ顔で、「松島と瑞巌寺が守ってくれたので」と言っておりました。以外に明るい顔にほっといたしました。遠い昔、伊達政宗が869年の貞観地震を教訓に、津波から助かったこの場所に瑞巌寺を建立したとすれば凄いことです。

この二日間、ほんの一部分を視察しただけですが、今回の震災がどれほどのものであったのか、想像を絶するものがありました。森羅万象すべてを呑み込んでしまったような痕跡を見ると改めて自然の驚異、天災の恐ろしさをまじまじと感じました。
震災に見舞われ100日を過ぎましたが、見た限りで言えば復旧、復興には向かってはいるものの、まだなにか物足りなさがありました。岡目八目で申すのは恐縮ですが、被災者自らが復興に向けて努力している姿のむこうには全く政府の影が見えませんでした。おそらく、視察された皆様も同じ思いだったに違いありません。

一行は4日夕刻、それぞれの感傷を胸に無事新宿に帰って参りました。
この視察を今後の活動にも活かしていきたいと思います。